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2014年12月

2014年12月 9日 (火)

「北の農士たち」が北国新聞で紹介された

平成24年6月のある日北国新聞の記者の方から「旧加賀藩士が北海道へ開拓移住した」件での取材を受けた。

今まで凧作りで何度か新聞で取り揚げられたことはあったのですが、「北の農士たち」の冊子に関しての取り上げに関しては自分ながら驚きでした。
6月30日付けの北国新聞の記事です。
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新聞の発信力はすごいものです。
多くの知人から「みたぞ!」と電話がありました。
中には「本をください」という方もいました。

新聞社を通じて読者の方から電話を頂きました。
「私は北海道の前田に住んでいましたが今は白山市にいます」という方でした。
新聞を通じて初めて情報を頂いた方でした。

また、小松市の方からは「私の住む滝ケ原地区から」北海道に渡り成功した方がいるのでその方についてお話をしたいと言って頂く方もいました。

その方々の貴重なお話も記録として残していきたいと思っています。

2014年12月 8日 (月)

北の農士たち

 明治政府は版籍奉還後に廃藩置県を行い、武士たちは家禄を失うこととなりました。
武士という身分も士族となり、徴兵制の施行により常職を失うことになったのです。
士族には家禄に応じて金禄公債証書が渡されたものの、すぐには換金できず多くは生活の基盤を失い没落する士族が多発しました。

士族の生活基盤を安定させることが社会不安を防ぐために必要であったので、明治政府は士族授産事業として北海道屯田兵制度で士族募集を行ったのです。

屯田兵制度は北海道開拓となっていますが、実際は当時のロシアが江戸末期より日本をたびたび脅かしていたことで国防を兼ねるための処置でもありました。
そのため当初は海岸寄りに屯田兵村を配置しましたが、徐々に内陸部にも作られるようになりました。

石川県は全国でも最多の492人が入植したと記録に残っています。
金沢では明治12年に士族による士族授産事業を企て、旧金沢藩主前田家からその事業資金を拠出してもらうべき事業計画を立案し提案したのです。
明治16年には起業社が前田本家から供与される10万円に士族などから株式募集する15万円を合わせて資金として、北海道後志国岩内郡犂野舞納村(りゃむないむら)に移住開墾すると共に、択捉島などにサケ、マスの漁場を開拓する計画でした。
犂野舞納村とは現在の岩内郡共和町前田です。

明治16年犂野舞納に開墾地を決め、宿舎を建設し、翌17年から士族が入植しました。   士族が北海道へ開拓移住し、刀剣類を鍬に持ち替えて開墾する姿は農士そのものだと思います。

共和町前田地区の方とは当地で懇談したご縁で交流しています。
平成27年が前田神社創立130年の節目となるので、記念誌の編纂に励んでいます。
金沢市史、共和町史をもとに「北の農士たち」を執筆し、金沢市の図書館や共和町の関係者の方々に送りました。
この資料をPDFに変換しましたので下記の「kitanonousitati」をダウンロードをクリックして閲覧ください。

「kitanonousitati_1.pdf」をダウンロード

「kitanonousitati2.pdf」をダウンロード

「kitanonousitati3.pdf」をダウンロード


初めまして

ブログ人の廃止に伴いまして、gooブログにて「加賀の旅人」ブログを引越し致しました。

ブログ人では明治時代に北海道へ開拓移民として渡道した石川県人の方々を調べた資料をPDFファイルにて公開してまいりましたが、引っ越し先では添付ファイルの機能がなくファイルが添付できるブログを探して「ココログブログ」にたどり着きました。

「ココログブログ」の管理画面は「ブログ人」の管理画面と書式が全く同じで驚いています。
ただ添付できるファイルの容量は1MBと決まっているので元の文章を分割し、PDFにする作業が大変な作業となりそうです。

「加賀の旅人(別館)」で今までの資料とも書き足していきたいと考えていますので宜しくお願いいたします。

凧に関したことや日々の事柄は「加賀の旅人」で運営していますのでそちらの方も閲覧していただきますよう願いいたします。

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