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2014年12月 8日 (月)

北の農士たち

 明治政府は版籍奉還後に廃藩置県を行い、武士たちは家禄を失うこととなりました。
武士という身分も士族となり、徴兵制の施行により常職を失うことになったのです。
士族には家禄に応じて金禄公債証書が渡されたものの、すぐには換金できず多くは生活の基盤を失い没落する士族が多発しました。

士族の生活基盤を安定させることが社会不安を防ぐために必要であったので、明治政府は士族授産事業として北海道屯田兵制度で士族募集を行ったのです。

屯田兵制度は北海道開拓となっていますが、実際は当時のロシアが江戸末期より日本をたびたび脅かしていたことで国防を兼ねるための処置でもありました。
そのため当初は海岸寄りに屯田兵村を配置しましたが、徐々に内陸部にも作られるようになりました。

石川県は全国でも最多の492人が入植したと記録に残っています。
金沢では明治12年に士族による士族授産事業を企て、旧金沢藩主前田家からその事業資金を拠出してもらうべき事業計画を立案し提案したのです。
明治16年には起業社が前田本家から供与される10万円に士族などから株式募集する15万円を合わせて資金として、北海道後志国岩内郡犂野舞納村(りゃむないむら)に移住開墾すると共に、択捉島などにサケ、マスの漁場を開拓する計画でした。
犂野舞納村とは現在の岩内郡共和町前田です。

明治16年犂野舞納に開墾地を決め、宿舎を建設し、翌17年から士族が入植しました。   士族が北海道へ開拓移住し、刀剣類を鍬に持ち替えて開墾する姿は農士そのものだと思います。

共和町前田地区の方とは当地で懇談したご縁で交流しています。
平成27年が前田神社創立130年の節目となるので、記念誌の編纂に励んでいます。
金沢市史、共和町史をもとに「北の農士たち」を執筆し、金沢市の図書館や共和町の関係者の方々に送りました。
この資料をPDFに変換しましたので下記の「kitanonousitati」をダウンロードをクリックして閲覧ください。

「kitanonousitati_1.pdf」をダウンロード

「kitanonousitati2.pdf」をダウンロード

「kitanonousitati3.pdf」をダウンロード


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