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2015年3月 7日 (土)

4-1.鳥越村から北海道への開拓移住者について

 鳥越村からは明治23年から明治末期までに106戸が北海道へ移住しました。
北海道への移住先表(鳥越村の項を参照)により、明治23年~大正13年までの移住者数は121戸となっています。
 明治23年の釧路の太田屯田兵村に2戸が入植したのを始めに27年~37年にかけて江別乙屯田兵村に19戸が入植している。
これは屯田兵制度が終了したので入植者を頼っての移住と考えられます。

 明治30年には石狩郡新篠津村に20戸、雨竜郡雨竜村に12戸が集団で移住しています。
 明治22年の全戸数は1197戸であった。

 明治29年に(1896年)に篠津村から分村、新篠津村となった。鳥越村史では明治30年に20戸が入植したとなっていることから、新篠津村役場に入植者氏名について問合せました。

「平成8年に発行しました「新篠津村百年史」を調べたところ、明治30年頃、平安農場という地域の開拓に石川県の方々に協力をいただいたような記述がありました。
しかし、鳥越村とは書かれておらず、また、当時入植したかたのお名前も書かれておりませんでした」との返答でした。そして「新篠津村百年史」の抜粋のコピーも頂いた。
 「平安農場では明治28年(1895年)に小作人の小屋を57棟作り、翌年春に石川県に人を派遣して、小作人32戸を募集して移住させた。その次の年には、さらに24戸を移住させている。

小作人には渡航費用のほかに米や味噌、農具、種子料などを貸し与えて、定着を図った。
しかし、明治31年(1898年)に大水害が起きたため、緊急の手当を出してしのいだが、翌年には小作人34戸が相次いで農場から去った。」(年表では明治30年に石川県から24戸が平安農場に到着となっている。そして、翌年の水害被害で明治32年には移住者の大半の34戸が他に移住して行き、消息が不明となっている)

 明治30年の鳥越村から渡道したのは20戸で、平安農場に入植したのは24戸とすれば同時期の渡道であり、鳥越村からは平安農場に入植したのではないかと推考される。とすれば残り4戸については近隣の村からの渡道であったのであろうか?
 今後の調査で判明することを期待したい。

「鳥越村からの開拓移住」をPDFで閲覧ください

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