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2015年9月

2015年9月27日 (日)

坂本竹次郎エピローグ

7月の北海道取材旅行から帰ると、一通のメールが届いていました。

「メ-ルにて、大変失礼致します。
坂本竹次郎について、ご掲載いただき、誠に有難うございます。
私は、坂本竹次郎の孫です。私の父、坂本竹男は、竹次郎の長男でございます。
私の両親もすでに他界しており、私自身、祖父のことが知りたくて、ネットで調べていましたら、こちらのブログを拝見しました。
私は、石川県に一度も訪れたことがなく、是非、祖父の生家、丸竹橋や神社にも訪れたいと思っております。」


北海道へは無線LANのFREESPOTに登録し、パソコンを持参していたのですが
ネット環境が悪く接続できませんでした。
もし、旅行中にメールを見ることが出来れば坂本木材の流送地についても少し調べられたのにと思いました。

帰宅後メールの主旨を滝ケ原の下坂様に連絡し、日高町の流送地である沙流川の写真を印刷し下坂様を訪問しました。
以前お聞きした下坂様のご両親は既に他界していましたので、沙流川の写真をお見せすることが出来ず残念に思いました。

私も坂本竹次郎について調べた「坂本竹次郎と流送」という冊子を坂本様の来訪までには製作することができました。

滝ケ原の方々と連絡、調整の結果、9月の某日に来訪頂くことが出来ました。
坂本様と滝ケ原町の方々とで竹次郎氏の寄贈された「丸竹橋」や「生家」、牧八幡神社跡の境内に設置されている坂本竹次郎氏の石像を案内しました。

Photo_2                         丸竹橋
Photo_3                        丸竹橋説明文

滝ケ原町に居住されている90才の故老の方とも面談することが出来、竹次郎氏が滝ケ原を訪ねて来た当時の思いでや、当時の貴重なお話を伺うこともできました。
滝ケ原八幡神社に寄進された石で出来た大鳥居を眺めて改めて祖父の偉大さが分かったと話されていました。

最後に竹次郎氏が旧の那谷小学校に寄進された「奉安殿」。この中には天皇皇后両陛下の写真と教育勅語が納められたそうですが、終戦後にGHQの命令で多くが取り壊されたそうです。
この奉安殿は破壊を免れ那谷寺の横に戦没者慰霊塔として移築されていました。


坂本様は「祖父が皆様と引き合わせてくれたのだと思います。これからは自分の為にではなく、人の為に出来ることをしなさいと教えているようだ」
と話されていたことが印象的でした。

東京都と滝ケ原の為に懸け橋となるような活動をしていただけると、私が調べた甲斐もあると思うのです。

今後は滝ケ原のことで新たなカテゴリーのページが開けるように祈念します。

「坂本竹次郎と流送1/4.pdf」を閲覧ください」

「坂本竹次郎と流送2/4.pdf」を閲覧ください」

「坂本竹次郎と流送3/4.pdf」を閲覧ください」

「坂本竹次郎と流送4/4.pdf」を閲覧ください」

2015年9月19日 (土)

坂本竹次郎の足跡をたどる

平成26年5月5日 北国新聞記事より

小松滝ケ原では鞍掛山を愛する会のウオーキングイベントとして「坂本竹次郎さんの足跡を訪ねて」が行われた。

参加者12人が坂本竹次郎ゆかりの地を巡りながら5キロをあるいた。
ウオーキングの後、食事交流会を開き郷土の偉人に理解を深めた。

20140505

2015年9月16日 (水)

坂本竹次郎の新聞記事より

平成26年1月24日 北国新聞より

『小松・滝ケ原出身 北海道開拓の坂本竹次郎』
小松市滝ケ原に明治4年に生まれた坂本竹次郎が20才で北海道へ渡り、原始林を伐採し河川を利用して事業を成功させ、郷里の滝ケ原に「丸竹橋」と呼ばれる石組のアーチ橋を建設。教育逐語などを安置した「奉安殿」を那谷小学校に寄付するなど郷里に錦を飾ったことから、功績に感謝した地元民が資金を出し合って建立した坂本竹次郎の石像が残っています。

坂本竹次郎の功績を知らない世代が増えたため、「里山自然学校こまつ滝ケ原」の山下豊副塾長は、郷土の偉人の坂本竹次郎を知ってもらうため足跡を訪ねるウオーキングイベントを計画しているという記事です。

20140124       那谷寺に移設された奉安殿(現在は戦没者慰霊塔となっている)

2015年9月14日 (月)

内灘町と猿払村が友好都市協定

内灘町と猿払村が友好都市協定を締結することになりました。

猿払村から内灘町で開催された「世界の凧の祭典」へ参加されたのは2000年の5月4日のことでした。
猿払村からは当時の猿払凧の会の会長夫婦とと猿払村役場職員のH氏夫婦でした。
猿払凧の会の会長のO氏の親は内灘村から猿払村へ移住した方だったので、
凧揚げの前夜祭で当時の岩本秀雄内灘町長に紹介すると町長はとても喜びました。
これ以降、猿払凧の会として何度か内灘の凧揚げ大会に参加して頂いたのです。

猿払村と内灘町がこれからも交流できないものか町議会議員に相談したことがあったのですが、北海道の羽幌町と姉妹都市となっているので猿払村と姉妹都市になるのは難しいとのことでした。

それでも、職員の方や町議会議員の方々の交流が増えて行き、近年では「猿払祭り」で、
内灘の特産品の宣伝や「内灘夏まつり」では猿払からの特産品であるホタテの貝焼きの販売など徐々に交流が深まってきています。

内灘町町制施行50周年では羽幌町長と猿払村村長が招待されました。
このように明治時代に内灘町から渡道した漁民の子孫の方と世代を超えた交流が始まってきています。

猿払の海は海流が早く海水浴には適していないので、猿払の子供たちが夏休みに内灘町の家庭にホームステイをし、「内灘町民夏祭り」で内灘での海水浴と祭りで夏を満喫したり、内灘の子供たちは7月の「さるふつ観光まつり」で北海道での夏の体験をするなどの交流が出来ればと期待します。

また、猿払の広大な村営牧場で真冬のノルディックスキーでの雪原を散策することも貴重な体験となると思われます。

このように、他所を見ることで見聞を広めることが出来るので学校では学べない学習も期待できると思うのです。

本年10月15日猿払村で友好都市協定の締結を行うとのことで、今後の両都市の交流に期待しています。

Photo

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