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2016年4月11日 (月)

石川県から京極町への開拓移住者(1)

京極町の位置
京極町(きょうごくちょう)は北海道後志総合振興局管内、羊蹄山(蝦夷富士)の麓にある町です。
東側に札幌市と接していますが、どちら側にも森林帯があり直接往来はできません。 また南に喜茂別町、西に倶知安町、北には余市郡赤井川村が接しています。
面積は231.49km²の町です。

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明治43年(1910年)に 倶知安村(現在の倶知安町)より分村し東倶知安村となった。
昭和13年(1960年)村の開基者京極高徳子爵所有の京極農場が開放されたのを記念して、昭和15年京極村と改称されました。
昭和37年(1962年)に京極町となり現在に至っています。

京極町の開拓の歴史を京極町史より転載します。
京極町の歴史に関しては他の町の歴史が書かれたものと比較するとその時点のことが克明に記載されておりますので、それだけ記録として残っている物が多いということでしょうか。

開拓者の方の当時の生活も記録として残されており、開拓者の言霊としての現在の我々に伝えることが多い町史であると思っています。

沿革のあらまし
本町の開基は明治30年京極農場に始まる。
旧讃岐丸亀藩主の京極高徳子爵は、北海道開拓のため旧藩士の児玉忠廣に北海道の土地の選定を命じた。

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児玉は内務省に勤めていたが官を辞し、渡道すると道庁に勤めながら空知の茶志内と胆振ワッカタサップを調査し、開拓に適地として報告した。
京極家ではこれにより明治28年12月ワッカタサップの地795余町歩の貸付を申請し、翌29年許可になったので、児玉忠廣を管理人として開墾の指揮をとらせることにした。
これより早く明治20年、京極藩の重臣であった三橋政之は香川県人ら22戸76人を率いて向洞爺に入植し、明治22年にはさらに80余戸を入植させ苦心苦闘の末、開拓に成功していた。
児玉は三橋の配慮を得て、29年に京極予定地を測量し、明治30年には向洞爺から開墾経験者の石原幸吉(42歳)、白川小太郎(45歳)、藤村徳治(28歳)ら数戸を招いてワッカタサップに入地させて開拓の第一鍬をうちおろした。

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