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2016年5月 1日 (日)

石川県からの京極町への開拓移住者(3)

入植始まる(最初の人々)
児玉は噴出しの上から尻別川までの道路を開かせ、川を渡って農場事務所を設けた。
翌年の移住者受け入れのための共同小屋を建てた。
その間に石原、白川、藤村たちの土地も定め開墾にも着手させたのである。
明治31年3月、第1回目の小作者を石川県河北郡、能美郡などから入れた。
その募集には児玉忠廣が現地に行って奔走したと思われるが、なぜ石川県から募集することになったかは不明であると書かれていましたが、開拓移住の召募時期は石川県各地で自然災害の発生した時期と重なった偶然と一致したのである。

明治29年8月の豪雨で手取川が氾濫し、下流域の多くの人家や田畑を流失し甚大な被害をもたらしたのである。
このため多くの人達が北海道への開拓の話に夢を託して、墳墓の地を後にして渡道していったのである。
京極町への開拓移住者の名簿 京極町史から石川県と富山県からの入植者名と出身地を記述しておきます。
これらは明治34年までに入植した人々で、古老の記憶と明治34年八幡神社寄付帳及び町役場旧戸籍簿などによりまとめたものである。

なお、記録には出身地石川県○○村とだけ記載されていましたが、明治22年の市制町村施行時の町村名とし、現在の市町村名を合わせて記載しました。
明治31年入植者 明治22年市制町村施行時の地名    現在の地名
金田 伊三郎  石川県羽咋郡河合谷村        石川県河北郡津幡町河合谷
山本 常次郎  石川県羽咋郡河合谷村         石川県河北郡津幡町河合谷
寺田 和三郎  石川県羽咋郡河合谷村        石川県河北郡津幡町河合谷
中塚 三次郎  石川県河北郡八田村          石川県金沢市八田町
川向 伊三郎  石川県河北郡八田村          石川県金沢市八田町
高木 権次郎  石川県河北郡八田村           石川県金沢市八田町
村井 孫七    石川県河北郡八田村          石川県金沢市八田町
奥野 伊三郎  石川県河北郡八田村          石川県金沢市八田町
中村 弥三郎  石川県石川郡鳥越村           石川県白山市鳥越
北口 九平    石川県能美郡河野村          石川県白山市鳥越
宇羅 仁介    石川県河北郡田近村          石川県金沢市花園八幡町
田中 伊右衛門 石川県石川郡鳥越村          石川県白山市鳥越
田中 仁太郎  石川県能美郡西尾村          石川県小松市波佐羅

明治32年入植者
久保 孫次郎  石川県能美郡河野村          石川県白山市鳥越
清水 長松    石川県石川郡鳥越村          石川県白山市鳥越
古村 市太郎  石川県能美郡板津町          石川県小松市
荒木 市次郎  石川県河北郡田近村          石川県金沢市花園八幡町
鴋沢 理吉    富山県西礪波郡石動町         富山県小矢部市石動町
日下 栄次郎  富山県富山市               富山県富山市
島岡 吉次郎  富山県西礪波郡石動町         富山県小矢部市石動町
駒井 宗助    富山県射水郡下関村            富山県高岡市下関町  倶知安から移住

明治33年入植者
芝山 岩松   石川県石川郡吉野谷村          石川県白山市吉野
中川 円七   石川県石川郡吉野谷村         石川県白山市吉野
柴山 徳松   石川県石川郡吉野谷村         石川県白山市吉野
林  磯八   石川県石川郡吉野谷村          石川県白山市吉野
中川 六右衛門 石川県石川郡吉野谷村        石川県白山市吉野
進藤 又八   石川県石川郡吉野谷村          石川県白山市吉野
柴山 与左衛門 石川県石川郡吉野谷村        石川県白山市吉野
沢  乙吉   石川県石川郡河内村           石川県白山市河内
西村 仁次郎 石川県金沢市                石川県金沢市
篠原 次郎助 石川県石川郡鳥越村           石川県白山市鳥越
吉田 与平治 石川県(不明)
林  磯吉   石川県石川郡河内村           石川県白山市河内
岡本 又三   石川県石川郡河内村           石川県白山市河内

明治31年から34年の間の移住者

桑田 平助   石川県石川郡河内村           石川県白山市河内
前多 栄次郎 石川県羽咋郡河合谷村          石川県河北郡津幡町河合谷
木本 八右衛門 石川県能美郡西尾村          石川県小松市波佐羅
大屋 作次郎 石川県河北郡田近村           石川県金沢市花園八幡町
大沢 尚次郎 石川県(不明)
荒木 ニ太郎 石川県河北郡花園村           石川県金沢市花園八幡町
中村 与助   石川県能美郡河野村           石川県白山市鳥越
川口 嘉六   富山県射水郡二上村           富山県高岡市二上
福岡 善六   富山県射水郡片口村            富山県射水市片口
竹内 政次郎  富山県射水郡片口村           富山県射水市片口
藤沢 喜作   富山県上新川郡東岩瀬          富山県富山市東岩瀬
吉野 藤蔵   富山県西砺波郡南谷村          富山県小矢部市石動町
山田 長三郎 富山県西砺波郡南谷村           富山県小矢部市石動町
滝田 七兵衛 富山県西砺波郡南谷村          富山県小矢部市石動町

(注)入植者名簿の中で京極町史では「石川県田辺村」と記入された個所がありましたが、明治22年の市制町村施行時の地名で石川県内の地名を調べたのですが同名の地区は見当たりませんでした。
私の移住者リストの中では河北郡内の同地域から入植されている田近村ではないかと思慮されるので田近村と表記しています。
今後の調査で正確な地名が判明するとよいのですが。

明治32年第2回目の移民は石川、富山両県から入植したが、この時の募集には第2回管理人となった橋本作治が当たっている。
明治34年は不明、翌35年は橋本により徳島県から募集してきたが、その正確な数は分からないと記されています。
この間、京極農場の開始を聞いて倶知安、仁木その他からの入植者もあって次第にその数も増加した。

第1回の入植者数は「開道50年記念北海道」には23戸、第2回目の管理人橋本作治の書簡によると20名となっているが現在分かっているのは16戸くらいである。
第2回目以降は毎年20戸ずつと旧村史に記してあるが正確なところは不明で、故岡本又三氏の談話では3年間で43戸と言っている。

この他に吉野谷村史には吉野谷村吉野から下記の人達が移住していた記録が記載されていました。

中川円七    明治40年10月  円作の父
中川六右衛門 明治42年  4月
戸田又吉    明治44年  1月
中川円作    明治44年12月
柴山いと     大正2年     明治33年入植の柴山岩松の妹

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