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2016年6月

2016年6月 1日 (水)

石川県から京極町への開拓移住者(5)

開拓時代の思い出(1)

開拓の苦労について京極町史では詳しく記載されていました。
その中で明治33年に石川県石川郡河内村から入植した岡本又三氏の聞書きを当時の貴重な記録として転載しておきます。

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『岡本又三翁回顧談』
岡本又三は明治33年京極農場第三次入植者の一員として石川県石川郡河内村(現:石川県白山市河内)から渡道し、同じく第一次入植者の北口九平の養女岡本トクに入夫結婚し、昭和35年1月に80歳で歿した。また妻トクは昭和50年6月に102歳で歿した。
この回顧談は昭和32年1月、村の小中学生の郷土学習用に、“村の歴史”を編集する時にとりまとめたものである。

「苦しかった道中」
私は明治33年に京極農場の小作人として石川県から14戸ばかりの一団に入って渡道しました。
開墾時代の苦労は一生忘れることが無いだろうと思っていましたが、年月が過ぎるとともに、あの苦労が懐かしく、よく耐えてきた我が身がいとおしく思われます。
もう記憶も薄くなり、私達のあのころの生活を口や筆で伝えることは困難です。時勢が変わり、ものの考え方も違い、昔の私達の暮らしや気持ちを今の人にわかってもらう事は難しいと思います。
よく若い人から「何を好き好んでそんなに苦労したのか」といわれます。

明治33年3月15日、郷里の河内村から富山県石動まで歩き、石動から伏木まで川船で下り、伏木から船に乗り、1週間目に岩内に上陸しました。
伏木を出港してしばらくの間は海上も静かでした。みな甲板に出て、海上の風景を楽しんだり、離れて行く故郷の山々に別れを惜しんだりしていました。
ところが何日目かに、ひどいしけになりました。昔の船は小さかったので、まるで木の葉のように波にもまれました。胃の中のものはみな吐き尽し、船室の床をごろごろと左右にころがされ、人と人がぶつかる。まるで樽で芋を洗うようなものでした。
ついに帯を解いて船の柱に結わえ、その端をしっかりつかんでいなければなりませんでした。初めて船に乗った私達はただ神仏に無事を祈るだけでした。
親たちは「お前たちを殺すために北海道へ行くようなものだ」と言って嘆いていたことを今思い出しました。
時化にあったり、あちこちの港へ寄ったりして1週間目にやっと岩内港へ上陸しました。
この船の中で老婆が一人死に、上陸後なきがらを見知らぬ土地に葬るために悲しい野辺送りをしました。
岩内で一泊した一行は翌日、倶知安に向かって出発しました。

北海道の冬について何も知らなかった私達は、手甲に脚絆、足袋にわらじという姿でしたから道中の困難は想像以上でした。
トクは2年前の明治31年2月の渡道で岩内から倶知安への道中は運悪く吹雪でした。間もなく子供は寒さと疲れで歩けなくなり、叺(かます)に半身を入れられ、駄馬の背にゆわえつけて連れて行きました。指先のこごえに息をはきかけ、はきかけ泣きながら行ったものでした。子供にとってはとても悲しく、つらい道中でした。
私の時は幸い晴天に恵まれ、小沢で休息の後、3月の堅雪の上を倶知安に向かいました。
倶知安峠には大木の幹に碍子(がいし)を取り付けて電話線が張ってありました。峠を下がるとき、はるかに羊蹄山が真白く輝いておりました。
あの山のすそのに我々の住む京極農場があると聞いて、いよいよ北海道に来たのだと思い、身の引き締まる思いがしました。
倶知安では今の六郷あたりの宿屋に一泊しました。
翌日は南4線を通り、目名では尻別川の渡し場を越し、今の村長住宅(註:元の農場事務所、現在佐藤テツさんの所)の向かい側に建ててあった共同小屋にたどり着いたのは夕方のことでした。

『笹小屋で』
共同小屋は細長い笹小屋で3か所にたき火をし、数家族が入りました。ここで4~5日泊まっているうちに管理人の児玉さんから、それぞれの入植地を決めてもらいました。
決められた場所へいってみると、そこはうっそうとした大原始林で、大木の梢のかなたに3月の青空が遠く見えるのでした。
私どもの故郷の加賀では見たこともない木ばかりです。これらの大木にブドウやコクワの蔓がからみついているのも珍しいことでした。
まず、私達は雪の中に半分埋まっている仮小屋に入りました。これは30年に入植した藤村さんが建てたものです。笹小屋で6坪位もあったでしょうか。冬中に小屋の中に入った雪を外へ捨てるのに苦労しました。床には松の小枝を切ってきて敷き詰め、その上に荒むしろを広げました。入口には1枚の荒ムシロを吊り下げて戸の代わりにしました。
この笹小屋での第一夜は、ハタハタと夜風に入口のムシロが揺れ動き、強烈な松葉の香り、いぶって上手く燃えないたき火など今も思い出します。心細かったです。
朝になって目を覚ますと、布団の上に雪がかかっていたこともある仮小屋の中で、雪が消えるまでに極力やって置くべきだと教えられた仕事は、小屋の周囲の大木を倒すことでした。
農場から貸し付けられたノコやマサカリを手にしても、伐木の経験のない私達は、二抱えも三抱えもある大木の前に立ってなすすべを知りませんでした。
ノコはヤスリで目立てをするものだと聞いていましたが、ただ、こすれば切れるようになるものだと思っていたのです。そんな私達に管理人の児玉さんは、「木の根もとで、幹に背を付けて上を見なさい。どちらに枝が沢山ついているか。幹はどちらに傾いているか。倒す方向が分かったら、そちら側にマサカリで切り目をつけ、反対側からノコをひきなさい。ノコ目が通らなくなったらクサビを打込んでせめなさい」と教えてくれました。
それまでは、幹の半分くらい切ると、木の重みでものすごい勢いで倒れ、切り口から2メートルも縦に裂け、切株へ斜めに橋がかかり、どうにもこうにも、始末がつかなかったものでした。
知らないと言えば私どもは、ツマゴもモンペも知りませんでした。半纏のような仕事着を着て、ももひき、きゃはん、わらじという服装で雪中の伐木作業をしたものです。
モンペの作り方は、その後、秋田、福島など東北地方から入地した人々から教えられました。

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