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2016年8月

2016年8月28日 (日)

2016北海道取材ノート(8)

平成28年7月 歌志内市図書館にて取材

20160721_175603               歌志内市立図書館    歌志内市字本町76

歌志内市は炭鉱で栄えた町でピーク時の人口は48000人を超えていたそうであるが、炭鉱閉山と共に町も衰退し、北海道の町制施行基準である人口5千人を割り込み、現在は3500人位である。

図書館を訪問し、歌志内市史を調べたのですが開拓のための入植に関しての記述が見当たらず、調査を断念しました。

石川県の加賀地方からの入植者がいるとの情報があったのですが、加賀地域の郷土史を再度調べてから出直したいと思っています。

  

  

2016年8月26日 (金)

2016北海道取材ノート(7)

平成28年7月 赤平市図書館にて取材

20160721_171104                赤平市図書館        赤平市大町4丁目5-2.




閉館が午後5時で閉館間際の取材となった。
赤平市史 上巻に赤平各地域への入植の記述があります。
その項で石川県からの入植に付いての記述されています。
市史の中で、「江沼郡誌」、「能美郡誌」より摘録された項目があったので、調べてみたいと思っています。

赤平地区は旧赤平炭鉱で最盛期の人口は5万人を超えていたようです。
当時は多くのの労働者で街も発展していたようですが、炭鉱閉山により人口の流出が激しく、現在は1万人弱の街となっています。
現在はかっての炭鉱遺産の活用した観光を力を入れているようでしたが、今回はその施設は見る機会がありませんでしたが、次回に訪れたいと思っています。

赤平市への開拓移住ついては別項にて記述していきます。

2016年8月20日 (土)

2016北海道取材ノート(6)

平成28年7月 沼田町図書室にて取材

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                                   (沼田町生涯学習センター)

北竜町の入植(北竜町HP 歴史年表より)
明治26年千葉団体第一次26戸入植
明治30年加賀団体開墾委託会社と契約を結び、奥美葉牛に入植。

雨竜町の入植(石狩川流域誌)

沼田喜三郎と開墾会社
小樽で精米会社を営み成功を収めた沼田喜三郎は、明治26年沼田の未開地の賃下げを受け、「開墾委託会社(通称、雨竜本願寺農場)を設立した。
自ら社長に就き、明治27年に故郷の富山県砺波から18戸を移住させた。
翌28年から富山県と石川県の本願寺の信徒から募集し、本格的な開墾を進めた。

この村は上北竜町と称していたが、北竜町と間違いやすいため、大正11年開祖にあやかって「沼田村」に改名された。(沼田町開拓の歴史)

沼田町史の必要箇所をコピーして頂いたので、別稿で紹介していきます。

 

2016年8月17日 (水)

2016年北海道取材ノート(5)

平成28年7月   雨竜町図書室にて取材

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                 (雨竜町農村環境改善センター)


雨竜町史   昭和44年9月12日発行
雨竜百年史 平成2年11月30日発行

雨竜百年史の中で「明治33年以前に入植した者の現在本町居住者」の一覧表があり、この表によると秋田、長野、新潟、富山、和歌山、徳島、兵庫、愛知、奈良、福島、山形、香川と全国から入植している。

百年史の中で、「雨竜への移住者で富山県出身者が最も多く、その次に新潟県がしめていた。しかし、石川県の場合は富山、新潟と移住戸数が多い割には移住者が多くない。
その原因を考えると、雨竜への移住が開始される当初、富山、新潟にみられるような雨竜村との関係が石川県にはなかったからである」と書かれいる。

この表には石川県から明治31年に野村貞祥が入植し、現在も子孫の方が居住されていますが、出身地が書かれていないので分からりません。
石川県の鳥越村から十数戸が雨竜(北竜町を含む)に入植しているのですが、調査不足で入植した片鱗さえ見つけられませんでした。

2016年8月15日 (月)

2016北海道取材ノート(4)

平成28年7月 北竜町公民館図書室にて取材

雨竜郡北竜町字和10-1
20160721_102208                    (北竜町公民館)

北竜町史  昭和43年3月25日発行
町史によると
明治26年5月、千葉県の団体が19区に入植し、千葉農場(培本合資会社 織原農場)に入植したのが始まりである。
後に富山県人の入植もあったと書かれていますが、石川県人の入植は記述がありません。

明治32年7月、雨竜町から行政区を分離し、戸長役場を置き、雨竜町の北に位置することから北竜町と称した。

2016年8月13日 (土)

2016北海道取材ノート(3)

平成28年7月20日 

遠別町生涯学習センターの図書室を訪ねました。
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(遠別町生涯学習センター)
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                  (遠別町生涯学習センター)

遠別町史 第二巻 (開拓記念百年史) 平成15年2月20日発行
明治30年(1897年)に越前団体(4月、共栄地区)、愛知団体(5月、中央地区)が入植した。
福井県人や富山県人などの単独移住者が多数入植したのである。
その後単独移住者の入植が続き、千葉団体(明治31年3月歌越地区)、熊本団体(明治31年4月歌越3地区および初山別村共成地区)、滋賀団体(明治43年清川3地区)、山形団体(明治43年4月久光地区)のの入植により遠別の開拓が始まったのであると書かれている。
一方、漁業の開拓は明治20年の白幡源太郎が富士見地区に入地したのを始めとし、明治30年以降に富士見地区を始めとし、北浜から北里地区にかけ、金浦から旭、歌越地区にかけ、単独移住者が漁業開拓に従事している。

ここまでの記録では石川県からの入植者の記録はないのであるが、他の項目で石川県人の記録が見られたので、特記しておきたい。
辻 徳太郎の父なる人物が明治30年に丸松地区に入地しその後久光地区に転移している。
明治36年には辻 四郎兵衛が入地した。
久光地区は基線5号から13号までで久光1地区(基線5号から10号までの基線北側に「辻 清作」氏の名前が記述されていました。
この「辻」氏は石川県からと記述されているが出身に関しては書かれていません。

引き続き「初山別村自然交流センター図書室」を訪ね取材。
建物は新しく立派で、建物の中に図書室があったのですが、職員の方は不在。
歴史に関する村史などの歴史に関する書籍は探すことができませんでした。

羽幌町立公民館図書室で取材
公民館図書室を訪ね、
「新羽幌町史」の資料のコピーをお願いすると公民館図書室だから著作権の関係でコピーが出来ないと断られました。
図書館だと出来るのだそうだが、今まで多くの図書室、図書館を訪ねたが・・・私には分かりません。
20160720_121139               (羽幌町立公民館)

羽幌町は石川県内灘町と姉妹都市交流をしている町で、ニシン漁で多くの内灘村民が住み着いた所でもあります。

苫前町立公民館を訪ね取材です。
苫前町公民館図書室を訪ねました。国道から離れ国道239号線を東進し士別方面に向かった所にありました。
「苫前町史」 昭和57年11月30日発行 町史の中で香川県出身者が多く、次いで三重県出身者、愛知県出身者である。
越中団体も古丹別に入植するが、小規模のため途中であきらめた人が多かったとの記述がありました。
石川県人が入植しているとの記述は確認できませんでした。
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                     (苫前公民館)

今日は多くの図書館、図書室を廻り、取材したのですが資料の収集は何もありません。
石川県からの団体移住はこの地区ではなかったと考えられます。

2016年8月11日 (木)

2016北海道取材ノート(2)

平成28年7月19日 稚内市立図書館を訪ね、稚内市史の中で石川県人が稚内に移住した記述がないかを探しました。

20160719_113554                   (稚内市立図書館)

稚内市史を調べたのですが、稚内への開拓移民に関する記述は見ることができませんでした。
明治22年4月の市町村制施行時の住所では石川県能美郡串村(現小松市串町)から稚内へ渡道している記録が串町史に残されています。
・稚内へは寺江甚助、田中次郎八」、宮本丹次郎、山本乙松、三ッ井甚右エ門、池田良作、当摩喜三郎
礼文島へは田口十郎、当摩二太郎、村住三松、田 多嘉吉
利尻島へは三ツ峰亀吉
の記述がありましたが、稚内市史では確認することができませんでした。
市史では範囲が広く多くの事象を収録するので、移住者の氏名まで記述してあることはないのが通常です。
稚内の市制を引く前の町史であればまだ氏名等が確認出来ることが期待できるのですが、今回は事前調査の不足で確認できませんでした。
串町からの移住者名も帰宅後、資料から判明したものです。

稚内市立図書館は大きな図書館で蔵書も多く、他の市町村の町史、村史も多くありました。
これから行く予定の天塩町社会福祉会館図書室で天塩町史を閲覧することにしていたのですが、この図書館の蔵書にありましたので閲覧することにしました。
天塩町史には藩政期は水戸藩の所領であったが、新政府になり水戸藩は領地を返納したが水戸藩士の栖原小右衛門が漁業侍として残ったとあります。
開拓移民は明治30年頃が多く、新潟、富山、石川、福井県の日本海側からの移住者が多かったとされています。
石川県からの移住者も多く、珠洲から大聖寺まで幅広く入植者の名がありました。
天塩町への開拓移住に関しては別の項目でまとめて行きたいと思っています。
天塩町史の必要箇所をコピーしてきました。




2016年8月10日 (水)

2016北海道取材ノート(1)

平成28年7月18日 猿払村郷土資料館

さるふつ凧の会の凧部屋は旧猿払村役場の一角にある。

旧役場の建物を利用した資料館は猿払村の生活資料を収集し、展示してあったものであるが、長い年月での使用で積雪や雨漏りもなどにより一般開放はしていません。
床板は根田が痛んで歩いていても床が抜けそうで危険な状態である。
建物全体が老朽化しているので今秋には浜猿の閉校になった学校に全てを移し、資料館を再建するそうである。

資料館の中を案内して頂くことができた。
床が抜けそうなので気を付けて歩くよう注意を受け中を見て回りました。
その中でとても気になったのは、坂本竹次郎の流送作業の写真の中で、伐木した木材を運搬するとき使用した木製の「バチ」という木製のソリが展示品の中にありました。
馬側のバチと後ろ側のバチで一組となっています。
坂本木材の使用していたバチはもう少し大きいものであったと思われるのですが、木製のソリのバチを見るのが初めてだったので非常に興奮しました。

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             (木材運搬用のバチ 馬側と後ろ側2台で組となる)

2              (坂本木材流送資料写真より バチバチ運送)

20160718_105404               (木材を固定するチェーン)

20160718_105414                  (木材を移動させる道具)

これらの道具は猿払の木材業者が自動車等の普及により、使わなくなったので村に寄贈したものである。


資料館を後にして、知人宅で見せていただいたものは、大きな鋸です。
鋸は錆もなく、手入れもされていたようで今でも現用で使用できそうです。

20160718_1134573種類の鋸である。
立木を切る鋸、角材、又は板にするための鋸、立木を切る袋鋸
何れも納屋の中でこれからも眠り続けるであろうか?

とにかく貴重な物を見せてもらったのですが、短い時間での閲覧だったので、時間をかけてもう一度見せていただきたいものです。
他にも古き昭和の生活物資が沢山収蔵されており、新しい場所への移築後の開館が心待ちとなります。

2016年8月 8日 (月)

2016北海道取材ノート

平成28年7月16日から7月27日までの約2週間の予定で取材旅行をすることに。
明治時代に石川県から渡道した県人達の足跡を追って凧揚げと、取材と合間に観光地の旅行と今回も予定がビッチリと欲張り旅の始まりである。

今回の取材の目的は宗谷地区から雨竜郡を中心に、そして昨年お会いできなかった奈井江地区の白山地区の関係者の方、赤平、歌志内地区、そして出来れば倶知安町へ行き、八反田角太郎に関する再調査と盛り沢山なのである。

新日本海フェリーで苫小牧東港に到着後、猿払へ向けての強行軍である。
今回も新しい発見と人との出会いが楽しみです。

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