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2016年12月11日 (日)

大椴地区を訪問して(4)

ここで大椴地区開拓の偉人について記しておきたい。

小林乙吉の功績
殖民地指定の大椴子原野を紹介し、現地視察の案内をした人、それは前記したとおり小林乙吉で、苫前郡羽幌町築別原野に居住営農していた人であるが、この人は親身となって協力を惜しまず、団体結成の時は桑原市太郎らと石川県に同行して、団員勧誘に当たり、現地の模様や将来性、北海道の気候、作物や作付要領、土地の無償付与などにわたって詳細を説明、移住応募者に大きな希望と強固な団結心を与えてくれた。(自らも団体の一員として加わろうとしたが異県人(秋田県人)を理由に不許可となった)団体移住後も我がことのように、生活維持などにも奔走して物資を斡旋するなど、苦難乗り切りに尽力してその世話を惜しまなかった。
同32年大椴子殖民団体組合員は土地拡張を計り、第2次貸付願いの手続き方を小林乙吉に一任した。
乙吉は代人となって同年3月鬼鹿港から汽船福神丸に乗り増毛支庁に向かう途中、留萌沖でシケに会い遭難沈没、ついに生涯を終えている。
明治36年全地成墾して土地は各戸に付与され一同大いに歓喜したが、このとき異口同音に小林乙吉の「恩義を忘れてはならぬ」とし、協議して同38年乙吉の7回忌に当たり、碑を3線15番地に建て永くその徳を偲ぶことになった。(現在は大椴神社境内に移し、その功績を讃え残されている)
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                              (小林乙吉の顕彰碑)

団結と苦闘生活
本団体は、最初石川県石川郡吉野谷村及び同県能美郡河野村(後の鳥越村 )の人々で組織したもので、この郷里は、耕地が狭く人口益々増加し、いよいよ狭隘の感が強まるとき、大椴子原野殖民団体の話が持ち込まれたので、
応募者は意外に早くまとまり、一年前に渡道小作する者も合わせて35名の移住入植の請願手続きとなったのである。
この時「団結移住者規約」が誓約されている。
この団体組織に当たって15か条にわたり誓約がなされ、北辺未知の異郷に骨を埋める覚悟を決めたのである。
わずかながらに所持する動産、不動産など一切を処分し、再び立ち戻ることのないよう決意して渡道したのである。同郷人ということもあろうが、生死を共にする同士35名は組長を中心に和心協力して互いに助け合い、激励し合って農事に務め、併せて共同して道普請に、橋架けに、神社の建立、門衆徒の説教場、学校の建設と苦闘の中でよく新郷土建設を短い期間で成し遂げことは、他に例のない殖民地とし、当時視察した道庁係官の報告文からもよく伺えるのである。
次にその団結移住者規約と殖民地状況調査の一部を掲げ、開拓当時の苦労をうかがうこととする。
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                              (団体入植顕彰碑)

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