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2016年12月21日 (水)

大椴地区を訪問して(6)

大椴子原野への開拓移住者の考察
当初、トドコ原野に集団移住する人達は全てが吉野谷村出身者であると思っていたのであるが、団結移住者規約の名簿によると石川県能美郡広瀬村の空橋吉兵衛氏は明治22年の市町村制で能美郡河野村広瀬になっていたのであって、後の鳥越村である。
河内村は独立した村で明治39年(1906年)石川郡当局から吉野谷村と合併案があったが実現しなかった。
 明治31年に移住民人名変更願が提出されているが、その中で能美郡中海村字嵐の地名があるが、現在の小松市中海町である。また、粟津村とあるのは現在の小松市粟津である。
 

「日刊留萌」の新聞記事より
平成9年(1997年)9月13日(土曜日)
― 開拓一世紀の節目を祝う ―
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 石川県吉野谷村などの加賀団体23人が明治31年に入植して以来、農業を中心に集落を形成してきた大椴地区が開拓百年を迎えた。11日、節目を祝う記念碑「豊翠郷」の除幕式や記念式典などが行われ、地域住民、町、来賓ら約120人が一世紀の歴史を振り返った。
 記念碑の除幕式は、午前10時から大椴神社前で行われた。百年記念実行委員会の松本省二委員長、開拓入植者の5代目になる三口かなえちゃん(2才)、橋村邦人ちゃん(3才)、橋村瞳ちゃん(5才)の4人が除幕し、礎(いしずえ)を築いた先人の遺徳をしのび、参列者は感謝の気持ちを込めて玉串をささげた。
このあと、会場を町福祉センターに移して記念式典が行われた。松本実行委員長が「開拓百年を迎え、感慨ひとしおのものがあります。これからも地域住民の団結心を一つに、米づくり地帯としての一翼を担って発展を続け、父祖先人の開拓地を立派に継承することを誓います」と式辞を述べた後、80歳以上の功労者4人、大椴地区の歴代実践会長5人に感謝状を贈った。
 新名秀雄町長、菅野兼次町議会議長、中村勝JA小平町組合長らが、これまでの先人や後継者の努力をたたえ「開拓精神に心から敬意を表します」など祝辞を述べた。
 この日は、父祖の地、吉野谷村から太田政義村長ら5人がお祝いに駆けつけ、同村長は「これを機に末長く友好親善に務めていきたい」とあいさつ。祝賀会では吉野谷村がビデオで紹介され、出席者たちは先人の古里の風景を感慨深げに見ていた。

広報 おびら (1997年10月 №824)
“大椴開拓100年”
9月11日、大椴地区の入植100年を祝う記念式典が大椴神社で行われました。
神社境内には開拓100年を記念して、記念碑「豊翠郷」を建立し、大椴地区にまた新しい歴史が刻み込まれました。
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広報おびらより

[記事内容]
9月11日、石川県吉野谷村から入植して100年を迎えたのを祝う開拓記念式典が行われました。
 大椴地区は、明治31年に吉野谷村から23人が入植したのが始まりで、現在29世帯99人が暮らしています。
 100年を記念して大椴神社境内に記念碑の「豊翠郷」が完成、除幕式が行われました。29家族の代表と母村・吉野谷村の太田政義村長、新名町長ら80人が出席。
 5代目となる三口かなえちゃん、橋本邦人ちゃん、橋村瞳ちゃんと松本省二実行委員長が幕を下ろし、碑を囲んで全員で記念撮影を行いました。
 引き続き福祉センターで約120人が出席して記念式典・祝賀会が行われ、80歳以上の功労者4人と大椴地区の歴代実践会長5人に感謝状を贈りました。出席者は、記念誌「おおとどっ子」を手に、開拓100年の歩みを振り返り、母村との交流を深めていました。
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