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2016年12月30日 (金)

大椴地区を訪問して(8)

大椴地区の方と懇談しました
大椴集会場の前で今後のことを思案していると、自販機のジュースを買いに来た人がいました。思い切って「この地区は石川県からの入植した人々がいますか」と尋ねると「私は石川県の吉野谷出身の子孫だ」と話された。
大椴地区の歴史に詳しい人として、岩倉さんに電話連絡して紹介して頂くことが出来ました。
岩倉ご夫婦さんは自宅横の農作業小屋で野菜の選別作業を行っていました。
岩倉さんの祖父岩倉岩次郎氏は明治31年の第二次募集で現在地へ開拓移住してきました。
祖父は石川県能美郡吉野谷村吉野出身で現在の岩倉さんは三代目になります。
「昔は留萌から羽幌まで汽車が走っていた。駅もありそれなりに町としての賑わいがあったが、昭和62年月3月旧国鉄の羽幌線が廃線となり、それに伴い若い者が町へ出てそこで所帯を持つようになり、この近辺も年寄ばかりになり、今では人家が少なくなったと寂しそうに話されていたのが印象に残っています。
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                       (昭和30年頃の大椴集落図)

以前、大学の先生が開拓移住について調査に来たことがあり、他から移住して先住の移住者と入れ替わっている集落が多いのに、この集落は開拓当時の住人が変わらず居住している集落は北海道では珍しいと話していたそうで 、それだけ住民の結束が強かったのだろう」といわれたそうです。

大椴地区の農業は米作が中心で2008年、全国米食味分析コンクールにて「ななつぼし」で金賞を受賞したそうです。
小平町では米作以外に生産されるメロンは、赤肉の小平レッド、青肉のデリシィ、アイボリーメロンの3品種が生産されています。
岩倉さんのビニールハウスでは白い色のアイボリーメロンという品種のメロンを作っています。このメロンは大椴地区の特産品で通常の品種と違うそうです。

大椴地区では入植以来大椴子川の氾濫でたびたび被害に会ってきました。
昭和53年8月に大椴子川が氾濫し水害が発生しました。北海道の災害発生記録を調べると下記の資料を見つけました。
昭和53年8月10日、日本海から道北を通過し北見沖にぬけた低気圧の影響で大雨となり、留萌地方に大きな被害が発生しました。
交通関係・国鉄運休56本。浸水家屋・住家床上51棟、床下292棟。農業・田畑冠水908。
土木関係・道路損壊29、河川決壊4。降水量(日最大1時間降水量)
留萌108(37)、達布111(36)、古丹別133(28)となっていました。
これ以降にダム建設が計画され、昭和61年に大椴防災ダム事業、かんがい排水事業が起工し、平成15年に完成しました。
このダムの完成により洪水調節と夏場の渇水が解消され、農業の計画的な生産が可能となった小平町史で書かれていました。
Photo

                          (大椴開拓100年記念誌)
岩倉さんは吉野谷村の時代に仲間と一緒に先祖の故郷を訪ね、村長ほか村の人達と親交を深めた事があり、後に市町村合併で白山市に変わった時に白山市長を訪問する計画だったが、訪問の直前に白山市長の訃報で中止となった経緯があると話された。
今度は仲間と一緒に吉野谷を訪ねてみたいと話されていました。

また、先祖は北海道らしい広大な土地を開拓していてくれたら良かったのにと話されていたことが印象に残っていますが、この地でも各戸が1万2千坪の所有地があるのです。
北海道の広大な大地を見慣れてきた中で、この地はなぜか郷里の山里と似た風景が広がっている日本の里山といえる場所だと感じました。

岩倉さんの息子さんが帰郷し一緒に生活するそうで、若い人によってこの大椴地区が受け継がれていくのを感じました。
石川県人がこの地で開拓後も生活しているのを見て石川県人として誇りに思いました。
2時間位の短い訪問でしたが、有意義な時間を過ごした大椴地区を後にしました。

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