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2016年12月24日 (土)

大椴地区を訪問して(7)

岩倉さんから『大とどっ子』という大椴開拓100年記念誌を頂きました。
この開拓記念誌の中で「大椴農業百年、大椴の夜明け」の中で入植と開拓について書かれていることは前述の小平町史の「第12節 トドコ(大椴)原野の入植と開拓」から引用したものと同じ内容が書かれていました。

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                 (昭和30年頃の大椴集落・大とどっ子の記念誌より)

桑原権兵衛について
記念誌の中で大正7年8月15日北海道庁の北海道拓殖功労者として表彰された表彰録より「桑原権兵衛」について書かれていましたので紹介しておきます。
嘉永2年1月9日を以て加賀国石川郡吉野谷村に生る農孫市の長男なり、白山川の西側に位置し、畑作を主とし煙草産地として名あり。
風俗質素能く労働に耐え熱心従業するも、地積狭く人多く、男は運搬業女は養蚕製糸を副業とするも生計困難なるをもって、夙(先に)に本道に移住せる者あり、権兵衛は父母歿後此れ等の人々より本道の事情を聞き知して、北海道に移住を志し明治29年3月同志10数戸と郷里を発し石狩国高島農場(空知郡奈井江)尋ねて本願寺農場(雨竜郡北竜村)に於いて開墾耕作に従事したるに、その結果良好なりしかは吉本駒太郎等と同郷者の団体移住を企画し、帰国して親戚及び村内貧困者に移住を勧誘する。
 駒太郎は土地選定の為各地を視察し、30年7月天塩国留萌郡鬼鹿村大字天登雁字大椴子原野に於いて貸下許可を得たり、権兵衛同志25戸と共に31年4月到着入地し後、団体長に推され克く団体を愛護すること終始一貫実に懇倒を極む。
 その移住に当たりては、先ず共同小屋3棟を設けて、直ちに伐木開墾に着手し毎日8反歩ないし1町歩を開きて馬鈴薯、大小豆、麦類を播種し了りて、各自居小屋を造り仮道を開く、しかるに、秋季水害に遭い作物を流出したるものすくなからず、その為に薄資者はたちまち糊口(やっと食べていく)に窮し、離散せんとするもの続出したが、権兵衛は百方これが慰論(なぐさめ、さとす)に奔走し私財を投じ、又は地方の資産家に交渉して米・味噌を借り受け救済激励して事業の進捗を図る。
 翌年数戸の新移住あり、33年2戸ないし3戸の共同をもって耕馬・農具を購入して盛んに馬耕をなしたるに、その成墾著しく秋の収穫多かりければ各自馬匹を購入し、学校を設け道路を開き、34年貸付地の全部106町7反余歩の成功付与を受け後、更に、177,315坪(約59町歩)の未開地を墾成し、従来の農具を洋式に改め馬車を使用して漸次地積を増加する。
 40年寄付を集めて学校を新築し、41年社殿を築いて氏神を祀る等諸般の施設やや備わり、年々移住増加し、44年に於いては戸数55戸・畑200余町歩・牧場590余町歩・馬70頭を有し、農繁期には養蚕を行い、冬期は製糸を副業としていた。
 規約を設け、親睦を主旨とし、険素を重んじ互いに救護励精至らざるなし、そして権兵衛は、百事実践躬行をもって団体に臨み種芸、力作は勿論敬神、尚学、納税の念を厚からしめ納税の如き毎期に他の部落に先立ち納入させ、所轄支庁長より感謝状を贈呈される。
 その他、道路改修の保全、土着心の養成、共同購入・販売の実施、農産物の改良及び検査を励行し、市場における農産物の賞価は毎にその上位を占めることを例とす。
 また、部落有財産の造成に熱中し、既に基本金2,500余円を増殖するという。
 そして、自己一身の為に計ること甚だ薄く、団体員と等しく耕地5町歩有するだけにして私利を謀らず資性寡欲温厚にして、衆を見ること子のごとく、素行端正・家庭円満・郷閭その徳を称され、大正4年7月1日賞勲局より銀杯1個を賜りその功績を表彰される。

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