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2017年2月25日 (土)

石川県から石狩町花畔村への開拓移住者(6)

開墾其他事業の進歩
団体民の移住地たる花畔原野は石狩国札幌郡花川村に属し札幌区の北東凡そ5里、石狩町の南凡そ2里、軽川停車場の北2里弱にあり四方開豁にして海に近し、土性は砂質壌土にして土位中等に位せり。
而して団体民は移住の初年即ち明治27年は其他の排水せざると資力の乏しきとにより原野に入る能わず。僅かに小屋掛開墾に着手せるのみ。翌28年運河兼排水溝の開鑿ありて之に沿える地は乾燥せりとも雖も稍や離れたる地は排水尚十分ならざるに付、明治29年団体民は出願して許可を受け貸下地の中央10線に沿い自費を以て1間の排水道路を開きたり、之によって土地の全部乾燥し開墾容易なるを得たり然れども29年は尚糊口に究する者多く開墾に精励する傍ら運河工事及び札幌村の農作雇等に出稼して生計を補いたりしか此年は栗、麦、稗、馬鈴薯、大豆を相応に収穫して食料に差し支なきを得たれば、老人婦女に至まで皆安堵し30年には復た他に出稼するものなく一意専心開墾作業に従事し各自食料を収穫せる外、大豆小豆等を札幌に搬出して販売したり。明治31年には既に貸付地の全部成功して付与を受ける者4戸、次いで付与を受けるもの32年に20戸33年に5戸、34年に5戸、35年に3戸、是に於いて団体民の貸付地は悉く成功して私有地となれり開墾事業の成績佳良なりというべし。

団体民は其業に勉強するのみならず又能く節倹を守り資本を貯えて事業の拡張に務めり、馬は明治29年に之を購入したるもの2戸あるをはじめとし爾後各戸漸次購入し今や皆之を所有し従って荷馬車、洋犂、耙澇等を持たさるものなく盛んに耕作するの結果付与地の5町歩宛にては不足を告げ或いは他の土地を借りて耕作し1戸の作付け反別多きは10町歩、平均6町5反歩に至れり。
又団体民の中十余名連合して明治30年□月石狩国上川郡江丹別原野に於いて未開地90万8688坪の貸付を受け此地に向いて既に3千円を投入し数万坪を開墾せり。
又明治35年中団体民の内4戸は花畔の土地を売却して島松地方に移りたるが其原因は失敗にあらず何れも該地に於いて2、3万坪の土地を購入したれば寧ろ事業の拡張と称して可ならん。
而して売却したる花畔の地4戸分の内3戸分は団体民中に於いて之を購いたり。

団体規約其美風
団体規約はかって北海道庁にて調整せる団結移住規約標準によりて作りたるものにて勤倹貯蓄の如き。災害に罹りたるものを相互に救護するが如き皆之を実行して絶えて怠けることなし、ただ未だ実行せざるは共同貯蓄の一事のみ、尚、特に目立つ事項を挙げます。
一. 団体の率先者たる水上藤次郎、前田惣与門等は最初より今日に至るまで団体のため尽力せるが、土地視察の際金5円と移住後官庁等へ出頭する時1日金40銭の手当を受けしのみにて其他には絶えて報酬を受けず。是を以て団体の経営は極めて僅少にして今日迄に1戸に付金1円50銭に過ぎずという。団体の経費斯の如く小額なるは殆ど他には其例を見ざる所なり。

一. 団体民は質素を旨とし衣服の如きも其初めは規約により郷里に於いて用うる麻屑織を以て常服とせり生計の余裕を得るに至り各自の随意に任せたるものも亦決して華美の風をなすものなし、食料は主として自家耕作する所のものを用い米は僅かに1ヶ年4、5俵を購うに過ぎず。

一. 団体民は其地内に樹木ある内に建家の準備をなすべきとして各自に用材を採り置きて建築せり、而して木挽きは皆自ら之を為し又大工も団体中其技に巧みなるものを雇い未だかって団体外より雇たることあらず。

一. 団体民は相親睦してかって喧嘩口論をなせしを聞かず又一人の規約に違背したるものなし。

一. 団体民は吉凶相慶吊し殊に災厄に罹りたるものを救護せり、火災は移住後4回(4戸)ありたるが一同相集まりて草屋を造り与え且つ各戸より応分の雑穀を拠出して之を救助せり、又農馬の斃死するものありし際は其代償の十分の七、八に相当する金額を一同より拠出して之を補助して以て更に馬を購入せしめたり。

一. 団体民は租税村費は常に能く之を納め未だかって一人も其義務を怠るものなし。

一. 4月6日は団体民が本道に移住する日なるを以て毎年此日を以て祈年祭を行えり、且つ明治32年9月移住記念碑を建立せり。

一. 団体民は甚だ厚く仏教を信じ冬季閑暇の際の如きは団体民中殆ど隔日位に僧侶を聘し説教を聞くを例とせり従って冬期閑居不善をなすものなし。

一. 団体民と付近民との間柄は甚だ円滑にして絶えて紛糾を生じたることなし、且つ付近に住する他の人民及び郷里より移住して付近に在る者にして団体規約へ加入を請い団体民と同じく規約を守りつつあるもの目下14戸あり。

生活の現況
此団体民は各戸平均6町5反歩を耕作し其内凡そ2町歩には、大麦、粟、黍、蕎麦、玉蜀黍、小麦、馬鈴薯、南瓜、其蔬菜類を作りて自家の食料に充て他の4町5反歩には主に小豆、菜種、大豆を作り又大豆、亜麻、燕麦等を作りて販売せり、1反歩の収穫は平均5円にして一家1ケ年に販売して得る所225円とす而して之より1ケ年の経常費を差引けば残る所数十円にして之を以て益々事業を拡張し生活の程度を改善するを得べし。
団体民の多くは掘立小屋を改め家屋を建築し又板庫を建てるものあり、食物は自家作る所の雑穀を主とすれども春季鰊漁期には僅かに2、3里を隔つる銭函海岸にいたり廉価に鰊を購い樽に漬け置きて副食に供し、又秋季鮭漁期には石狩川に漁する所の酒を購い塩引きとなして貯え置き時々之を食せり。神社、小学校等は団体地を距る数町なる石狩道路の畔にあり。
寺は石狩町、説教所は石狩道路及び軽川に在り之を其郷里に比すれば生活の程度著しく進みたるのみならず諸事大いに便利なり且つ団体民の資産は現今平均既に7、8百円に達し之を其移住の際、携帯せる資産に比すれば実に10倍の増殖なり。
更に此団体民と付近の人民とを比較せんに其職業に精励する事、風俗の淳良なること実に一頭地をぬけり。とこのように書いているが、当時の状況が事細かに記録されているのですが、苦労して開墾していることは分かるのですが事象がきれいすぎて中には脚色されていると思われるか所も見受けられます。次に金子文章についての解説がされている文章があります。

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