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2017年3月 4日 (土)

石川県から石狩町花畔村への開拓移住者(7)

加賀団体の出身地と構成員
先の資料は「情報報文」であったがほぼ同じ内容であるがさらに詳しく書かれた資料もありますので掲載しておきます。
この記録では「江沼郡東谷奥村」の住民の外に、「能美郡大杉村、新丸村」等の住民も加賀団体として開拓移民していることが書かれています。
 能美郡の大杉村は明治40年 瀬谷村と大杉村が合併して大杉谷村が発足したが昭和31年に小松市に編入となり大杉町となり、現在は小松市大杉町となっている。大杉村は小松市内から約20km南へ行った四方を山に囲まれた山村です。
能美郡新丸村は明治22年 町村制施行により、小原村、丸山村、須納谷(すのだに)村、新保村、杖(つえ)村の5村が合併し新丸村が発足したが、昭和31年に小松市に編入となり大字須納谷は花立町、大字杖は津江町と改称し小原町、新保町、丸山町となり、新丸村は現在、小松市丸山町となっている。
 これらの村は江沼郡大土村から北東~東に隣接し大日川の上流部にあり、東谷奥村よりさらに辺鄙な場所である。
 この地区の住民の生業については平地が少ないため多くは炭焼に従事し、それを大聖寺町や山代温泉に販売していた。
 女子は耕作養蚕に従事し、粟、稗など雑穀に米を3分ほど混ぜて食べていたと書かれている。

 移住した村人の資産についてであるが甚だ薄資で1戸に付100円もあれば良い方で、10円~40円が普通であったと書かれています。
 小樽に上陸したときは無一文に近いものが数名あったと記載されていたがこれらの人々が団体移住者として開拓事業が出来たかを考察してみました。
開拓移住するには最低でも100円以上の資金が必要で、これは移住して1年間は耕作して収穫がないために生活するために必要な資金と考えられています。
坂下岩次郎氏が団体の移住前に札幌村近郊で生活して、近隣住民との付合いもあり、団体民が移住後に小作農として日雇いで日銭稼ぎが出来る口利きが出来たせいではないかと考えられます。

このため薄資の移住者も小作農で糊口を賄うことが出来のではないでしょうか。
花畔原野は石狩当別や屯田兵の琴似兵村にも近くこれらの地区はこの時期には開墾も終わり農地として確立し農作業でも人出が不足していたと考えられます。
他所の開拓移住を調べていると、開墾場所が都市から離れている個所での開拓移住者は入植して伐木、焼畑し播種、そして幾何かの収穫の繰り返しで持金が底を付きというケースが多いのですが、この花畔の開拓移住者に関しては周りが開拓後の発展で小作農としての出稼ぎや、伐木を利用しての薪も比較的近場で販売出来、そこそこの現金収入になったのでしょう。

入植者を年代ごとに記録してみると入植者全てが残っているわけではなく、志半ばで離村して行った家族もあった事も分かりますが、年々入植者が増えていることも分かります。
これらのことから花畔への加賀団体の開拓移住による貸付存置が予定通り完成したのではないかと推察しました。
Photo
この表より、明治28年の入植は25戸となっていましたが、開拓区分では27戸となっています。春木さんと久保さんの家族が別々に開墾したものと推量されると記念誌では書かれていますが、その理由については記念誌では詳しく書かれていません。

明治29年では4戸が新しく入植しまし、翌30年には6戸が新規に入植したのですが内3戸は移住時に堀、南出、宮下方に寄留しているようです。この年には1戸の方が離村しているようです。

下表は明治33年1月の貸付存置の開墾により自己所有となった土地の坪数です。この表により36戸の入植者が8千坪~1万5千坪近くの開墾を成し遂げたことが確認できます。
Photo_2

開拓当時の行方不明事件
 「金子文書の中で当時の開拓地で起こった子供の行方不明事件について紹介されています。
明治29年6月5日午前10時頃より2線近くの住民の子供、8歳と5歳の男子、2歳の女子が外出し行方不明となった。近隣の住民が探したが見つからなかったが、翌日の昼頃11線の家に来たのを無事保護したというものであった。
この捜索には40名ほどが参加したそうで、6月の始めといえども夜は寒い時期で、林の中に迷い込んだのかも知れない。
開拓地では時にはこんな事件も起こったと記録されていました。

石川県内からの開拓移住者
入植者を記念誌の「我家の歴史」から紹介されている方を記載しました。
加賀団体での入植者
入植者名   入植年      出身地       
田  音二郎  明治37年10月 江沼郡東谷奥村字大土 
田中 石太郎  明治28年12月 江沼郡東谷奥村字大土 
堀   仁平    明治27年5月  江沼郡東谷奥村字大土 
南出 亥之吉  明治27年6月  江沼郡東谷奥村字大土 
山岸 竹次郎  明治27年6月  江沼郡東谷奥村字荒谷 
中村 藤次郎  明治27年6月  江沼郡東谷奥村字大土 
西谷 金七    明治27年6月  江沼郡東谷奥村字大土 
東出 伊平    明治28年頃   江沼郡東谷奥村字大土 
春木 スエ     明治27年6月  能美郡新丸村字新保  
春木 紋吉     明治27年頃   能美郡新丸村字新保  
久保 勘興門   明治27年4月  能美郡字新丸村新保  
織田 三蔵     明治27年6月  石川郡白峰村字白峰  

個人での入植者
小西 与三吉   明治29年4月  江沼郡東谷奥村字荒谷 
杉中 喜三郎   明治29年9月  江沼郡上川崎村    
田   兵作     大正7年10月  江沼郡東谷奥村字大土 
大屋 己之太郎 明治35年4月 江沼郡東谷奥村字大土 
下屋 久次郎   明治35年頃   江沼郡東谷奥村字大土 
千歩 亀松     明治32年12月 能美郡今江村     

入植経緯不明(他所からの転入者を含む)
阿知良 源三郎 明治30年頃    江沼郡東谷奥村字新保 
下野 善吉      明治34年頃     江沼郡東谷奥村字大土 
茎津 重蔵      明治28年7月  江沼郡東谷奥村字大土 
澤谷 小間吉    明治25年5月  江沼郡庄村      
二枚田 清四郎  明治27年頃    江沼郡東谷奥村字大土 
志田 吉松      明治35年10月  江沼郡東谷奥村字大土 
東  安次郎     明治35年8月  江沼郡東谷奥村字大土 
織田 久四郎     明治33年12月  石川郡白峰村字白峰  
織田 ハツ      明治30年頃    石川郡白峰村字白峰  
藪  與惣       明治30年頃   石川郡白峰村字白峰  
岡田 定松      明治35年6月   能美郡長野村字牛島  倶知安より転入
春木 いよ       明治28年8月   能美郡新丸村字新保  
宮野 長七         不明       能美郡串村      
山本 みつ       明治38年        能美郡中の峠     

能登地区からの開拓移住者(個人・他所からの転入者を含む)
池端 岩松       明治41年3月  羽咋郡富来町字里本江  
越野 リト         明治31年2月  河北郡倶利伽羅村竹橋  
原  定次郎      明治35年2月  河北郡倶利伽羅村竹橋  
一坪 勇之助     明治29年11月  鳳至郡南志見村字西山土  岩内郡 前田村字老古美へ                         転出
福田 松次郎     明治30年頃   羽咋郡碑造村大字大西  
村田 安太郎         不明      鹿島郡滝尾村      

能美郡新丸村字新保地区から花畔村への開拓移住者は「新丸村の歴史」書の中では以下のようになって記載されていました。
移住者    人数   転出年月日
春木 利作    5人   明治27年6月20日
久保 仁太郎  5人     明治27年6月20日
春木 九兵衛   6人     明治27年6月20日
久保 権兵衛   8人     明治27年6月20日
春木 紋三郎   3人     明治27年6月20日
春木 美之助   3人     明治28年8月5日
久保 吉三郎   6人     明治29年4月27日
道下 さく        1人     明治30年10月6日
道下 孫助      8人     明治43年4月30日

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