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2017年3月18日 (土)

石川県から石狩町花畔村への開拓移住者(9)

加賀団体の故郷(能美郡新丸村)について
・地理
新丸村は能美郡の最南端に位置している。東方は石川郡の白峰村、尾口村、鳥越村に、南方は福井県大野郡の北谷村、野向村、荒土村(現在勝山市)に接している。
西方は江沼郡の東谷奥村(現在山中町)、西谷村(現在山中町)、能美郡大杉谷村(現在小松市)に、北方は能美郡の西尾村(現在小松市)及び石川郡の鳥越村に接している。
新丸村(しんまるむら)は、石川県能美郡に存在した村である。

 東西の最長距離は4.3㎞、南北の最長距離は16.6㎞でその面積は83.75㎢である。
  明治22年(1889年)の市制町村制施行により新保村、瀬納谷村、丸山村、小原村、杖村が合併し新丸村となった。合併した村のうち、新保・丸山の両村の名前より新丸とした。
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自然災害
 この村も山に囲まれた場所で河川の氾濫や山崩れ等で様々な災害に見舞われた歴史があります。その中でも村民が北海道へ移住することになった大災害がありました。
明治29年8月1日の大豪雨のため、河川が氾濫し、県下全体に大きな被害をもたらしたのですが、村内を流れる大日川も大増水し滝の尻川沿いに土砂崩れがおこり、村内に大きな被害が出ました。

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  特に丸山、新保では被害が甚だしかったが、その惨状の悲惨さに中には復興を断念し、新天地に希望を託して北海道に渡る者41戸、231名に達している。
 新丸村の資料では明治23年に新保地区から春木氏ほか5家族が北海道石狩国石狩郡花畔村(ばんなぐろむら) へ開拓移住が始まったと記載されていましたが、花畔開拓資料では明治27年となっていました。

生活様式
 新丸村の村民はどのような生活をしていたかが記録されていましたので、生活様式が記載されたものを転記します。
 昭和初期までの生活状態の一端を述べると、夜の寝具では村内を通じ敷布、布団を敷いて寝るような家は一部落で2、3軒位です。
大抵は藁を敷き夜具の一枚も着て寝るという家は上の部であり、多くはその時その時の着のみ着のままで眠り、その尽ですぐに労役に服したものであります。
また調味料の如きものは村内の余程の裕福な家でなければ味噌を用いなく多くは塩のみでありましたと記載されていました。
 新丸村からの移住者は多く、石川県内、福井県、その他で特に多かったのが北海道への移住者です。
 北海道も各所に開拓移住していますので、別項目で「新丸村」からの開拓移住者を取り上げていきたいと思っています。

 

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