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2017年7月22日 (土)

加賀団体による十勝地方への開拓移住者(4)

加賀団体の入植
中札内村史(平成10年3月31日発行)より加賀団体の移住について書かれている事項を転記します。
明治29年の水害で石川県内各地では大きな被害を受けました。
加賀団体は明治30年石川県能美郡新丸村の住民40名余が団長に久保清次、副団長に山本清次郎を選んで組織された。ただし団体への加入資格は「120円以上の資金を有すること」が条件であった。

同年幸震村の地積60万9000余坪(約203ha)の殖民地貸与を受けた、その地は同29年
7月に久保清次が十勝国に入り移住地に選定した札内川右岸の現在の帯広市大正町であった。岐阜県民貸付地の上流に連接していて一帯が樹林地であった。

実際の移住者は29年1名、30年30名、31年3名の34戸であった。
道庁の殖民地情況報文に『その団体の組織の結束は固く、互いに協力して開拓に従事したので開墾の成績が著しく3年目にして全地(5haから10haまで無償貸与が受けられる、5年以内に成功検査を受け個人の所有となる)を成功したもの1戸、全地の70%~80%を開拓したものが十数戸ある。最も少ないものでも2haを下回るものはいない。樹林の笹地なので開墾が困難にも拘わらずこのように成功するのはその勤勉な仕事振りが思われる。』と紹介された。

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