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2017年8月12日 (土)

加賀団体による十勝地方への開拓移住者(7)

内山忠次郎の功績
内山氏が当区に入植されたのは開拓の始めよりやや後れて大正7年と聞くが、27才の若さで早くも開拓の志を樹てられ明治29年に先に渡道していた叔父孝太郎氏を頼って千葉県匝瑳郡豊栄村(現八日市場市亀岡)から単身で渡道され幸震村(現大正町)に入地されて以来上途別、越前、幸福等数ヶ所に亘って開拓が進められた。
その間明治32年に越前(現昭和町)の小森清太郎氏の次女セツさんと結婚して、いよいよ北海道永住の意思を固められた氏は身辺整理のため一時帰郷して実家の整理をし、父親甚右ヱ門氏(大正12年死去)を伴って再び新開地に戻り開拓に精魂を傾けられ夫婦間に子供が恵まれなかったこともあってか、将に開拓に一路に精進されたのである。

明治44年に中札内(現北1区)に移住したが、そのころから逐次農地を拡張して大正5年には常盤区内に45ヘクタールを取得し、大正7年に入地(西2線268番地)され、以来毎年多くの雇人を使って営農して、その後も多くの土地(150ヘクタール)を取得し、その所々に小作人を入れて営農させるなど将に大地主として活躍された。
一方公職の歴史も長く大正4年に大正村初代(大正4年に村が誕生)の議会議長として選出されたのにはじまり、その後常盤区に居住後も引続いて7期(Ⅰ期2年)当選し昭和4年6月で14年間に亘って村政に参画され、学務委員等も務められなど地域の進展に偉大な貢献をされており、昭和2年の大正村開拓30年記念式で自治功労賞として顕彰されている。

しかし、昭和20年太平洋戦争終結直後の9月に生涯苦楽を共にした妻セツさんに先立たれ、続いて自作農創設特別処置法による農地改革で多くの土地を手放し、加えて年齢も既に75才となったことから、農業を離れ悠々自適の生活に入ったが、その期間も長くは続かず、昭和25年12月17日遂に81年の歴史を残して大往生を遂げられている。ここに氏の生前の労をねぎらうと共にその御功績を永く讃えたい。

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