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2017年10月28日 (土)

北桧山区の太櫓地区への布教活動の移住者達(2)

平成29年7月22日 

光玄寺に手紙を
布教の為に住職を派遣した小松市串町の「光玄寺」に下記の要旨のについて教えていただきたく手紙を書きました。
・北海道の江差の北にある「太櫓」地区に布教の為に串の住民が移住した記録が町史に載っていました。
・なぜ江差から遠く離れた辺境の地での布教活動だったのでしょうか。
・串町史を調べ、その中で開拓移住が決まった時に「光玄寺」の境内で親類との別れを惜しんで涙したと記述がありましたが、当時の記録などは残されていないのでしょうか。
・太櫓地区に移住された方の記録はないのでしょうか。
これらのことについて手紙の返事はもらえませんでした。

 当時はニシン漁の最盛時期で多くの漁師が北海道へ行っていましたが、漁期を過ぎると帰郷していたようです。
 開拓移住によって開拓した土地が個人所有になるという夢を抱き多くの人が未開の北海道へと移住したのに比べ、海岸と山に囲まれた偏狭な地に布教の為と何人かの人達が移住したことが分からないまま調査は中断してしまいました。

太櫓の光玄寺に手紙を
北海道旅行が決まり、この地区を訪ねたいとの思いから太櫓地区の光玄寺様宛に調査のお願いをしました。
 「石川県能美郡串村(現在の小松市串町)から後志の倶知安へ開拓移住した方々を調べ、一昨年倶知安町の円融寺様を訪れ住職様の奥様から「加賀団体入墾記念の崇徳碑」に関してお話を伺うことが出来、記念碑を写真に収めてまいりました。

その後、倶知安への開拓移住で串町史を調べておりましたところ、真宗の普及の為に
北海道へ多くの宗教の関係の方が渡道され布教活動をされたことを知りました。
 当時の串村からも太櫓地区に串の住民と共に布教の為に渡道したと町史に記述がありました。
 光玄寺様は小松市串町の光玄寺様と同じ名前でしたので、もしかしてご先祖様は同じかと勝手に解釈してお話をさせていただいておりますが、もし間違いなら申し訳ありません。

この太櫓地区には串村から移住された方はいらっしゃいますでしょうか?
移住した方の移住当時の氏名と移住年が分かる資料等があれば教えて頂ければ幸甚に存じます。」

太櫓地区の光玄寺様から返事が
『北海道の太櫓町の光玄寺で住職を務めている佐竹と申します。
先日は、ご丁寧なお手紙をお送りいただき誠に有難うございました。

さて、お手紙に書かれていた通り、当院は小松市串町の光玄寺から分かれて北海道へ入植した寺院であります。
入植したのは、明治14年10月であり、門徒数十名と共に海を渡ったと聞いております。
しかし残念な事に、資料不足と厳しい時代背景のためか、当院の方で分かっていることはこれだけであります。
幸い、数十年前に小松市の方から歴史に関わる調査として来られたそうなので、市でまとめられた内容はそちらで拝見できるかと思います。

そして、 串村から太櫓に移住された方々の名前等ですが、こちらも残念ながら分かりませんでした。
世代交代の流れと、人口の減少、その中で親から子への伝承が途切れてしまったのかも知れません。
私の祖母の遠い記憶から、串町の子孫だと思われるご家庭が1∼2件上がりましたが、何分不確かな記憶なので苗字の明記は控えさせていただきます。

ご連絡が遅れてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
開拓使の調査の成功を念じております。 

合掌  』

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