猿払村と内灘町のつながり

2015年10月19日 (月)

北海道さるふつ道の駅に内灘の特産物販売

平成27年10月18日付け 北国新聞記事より

内灘町と15日に友好都市を提携を結んだ北海道猿払村で、年明けにも、内灘の特産物が販売されることになった。
ホタテの水揚げ量日本一と知られる猿払村の道の駅「さるふつ公園」に常設コーナーを設け、サツマイモなど内灘の特産物を並べる。
提携第1弾の取組みとなり、町は魅力のある食材を通して内灘に関心を高めてもらい、交流発展につなげたい考えだ。

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内灘産の農産物が販売される道の駅「さるふつ公園」はオホーツク海に面する国道238号沿いに立地する。売店やレストランと共に並ぶ「さるふつまるごと館」の中に内灘の食材を扱うスペースを設ける。
町側は扱う農産物としてサツマイモ「内灘金時」やコシヒカリ、ラッキョウ、西荒屋地区で特産化を目指しているピーナツ餅などを想定している。
町が窓口となって地元生産者に声を掛け、年明けにも北海道に直送できる態勢を整えていく。

これと同様に内灘町でも猿払村のホタテを販売する場所を設ける予定である。
猿払村のホタテ漁は、明治期に出稼ぎに来た内灘の漁師が指導して発展した経緯があり、町担当者は「先人が基礎を作った猿払村のホタテを内灘で食べられるようにしたい」と話している。

両町村は食をきっかけに、今後はスポーツや文化、教育など幅広い分野に交流の輪を広げていく方針である。

以上新聞記事を転載しました。

2015年10月18日 (日)

内灘町と猿払村が友好都市協定締結

平成27年10月15日 内灘町と猿払村が友好都市協定を猿払村で締結した。

内灘町と北海道の羽幌町は昭和55年(1980年)に姉妹都市になりました。
平成5年から子どもたちが姉妹都市を訪問し、相互の姉妹都市交流を行ってきました。
羽幌町へは明治時代にニシン漁に内灘町の漁師が出稼ぎに行き、ニシン漁が終わると猿払海岸の沖合まで出かけてホタテ貝漁に従事した記録があります。

羽幌町に出かけた漁師は羽幌町に定住するようになり、内灘町と交流が続き昭和55年には姉妹都市となり、産業や教育での交流が盛んになりました。

一方、猿払村は同じ北海道にあるため姉妹都市を増やすことはできなかったのです。

猿払村との交流は地道な交流であったと思われるのですが、近年になり友好都市という言葉が世界的な交流の中から出てきたこともあり、猿払村との協定締結に進んだのではないでしょうか。
姉妹都市と友好都市との意味合いは同じですが、世界的な潮流の中では対等な立場としての意味合いから友好都市という言葉が多様されるようになったのではないでしょうか。

内灘町と猿払村の応援団として今回の友好都市協定は以前から待ち望んでいたことでとても嬉しく思います。

10月16日付けの北国新聞の記事を転載します。
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2015年9月14日 (月)

内灘町と猿払村が友好都市協定

内灘町と猿払村が友好都市協定を締結することになりました。

猿払村から内灘町で開催された「世界の凧の祭典」へ参加されたのは2000年の5月4日のことでした。
猿払村からは当時の猿払凧の会の会長夫婦とと猿払村役場職員のH氏夫婦でした。
猿払凧の会の会長のO氏の親は内灘村から猿払村へ移住した方だったので、
凧揚げの前夜祭で当時の岩本秀雄内灘町長に紹介すると町長はとても喜びました。
これ以降、猿払凧の会として何度か内灘の凧揚げ大会に参加して頂いたのです。

猿払村と内灘町がこれからも交流できないものか町議会議員に相談したことがあったのですが、北海道の羽幌町と姉妹都市となっているので猿払村と姉妹都市になるのは難しいとのことでした。

それでも、職員の方や町議会議員の方々の交流が増えて行き、近年では「猿払祭り」で、
内灘の特産品の宣伝や「内灘夏まつり」では猿払からの特産品であるホタテの貝焼きの販売など徐々に交流が深まってきています。

内灘町町制施行50周年では羽幌町長と猿払村村長が招待されました。
このように明治時代に内灘町から渡道した漁民の子孫の方と世代を超えた交流が始まってきています。

猿払の海は海流が早く海水浴には適していないので、猿払の子供たちが夏休みに内灘町の家庭にホームステイをし、「内灘町民夏祭り」で内灘での海水浴と祭りで夏を満喫したり、内灘の子供たちは7月の「さるふつ観光まつり」で北海道での夏の体験をするなどの交流が出来ればと期待します。

また、猿払の広大な村営牧場で真冬のノルディックスキーでの雪原を散策することも貴重な体験となると思われます。

このように、他所を見ることで見聞を広めることが出来るので学校では学べない学習も期待できると思うのです。

本年10月15日猿払村で友好都市協定の締結を行うとのことで、今後の両都市の交流に期待しています。

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2015年7月29日 (水)

猿払村開村90周年によせて

猿払村と聞いて思い出すのは「ホタテ」です。
 内灘漁民が猿払沖でホタテ漁を行ったのは明治21年からでした。以降北海道の羽幌を拠点として、春はニシン漁でその漁期が終わればホタテ漁となっていました。

 猿払沖のホタテ漁も昭和に入るとホタテの乱獲で漁獲量も激減し、ついには不漁続きで休漁となりホタテ漁の加工で生計を立てていた猿払村民は貧困で苦労しました。

 昭和45年から始めたホタテの稚貝の放流事業で村の年間予算の半分をつぎ込み事業を継続し、昭和49年には待望の水揚げが出来ました。

 それ以降はホタテの育成事業が軌道に乗りホタテ長者の村として全国に紹介されるようにまで発展し現在に至っています。

平成25年に猿払村は開村90周年を迎えました。
今日までの先人たちのご苦労を知り、内灘町と猿払村のつながりを整理してみました。

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