取材ノート

2016年9月20日 (火)

2016年北海道取材ノート(14)

平成28年7月 坂本木材工業(株)の社屋兼自宅と料亭鴨川跡地を訪ねて

平成28年7月27日、今回の旅は昭和39年に坂本竹次郎翁が天寿を、全うしその後それまで住んでいた坂本木材の本社を不二ビルに移転したのですが、会社兼自宅と料亭鴨川の跡地を訪ねました。

坂本竹次郎翁が亡くなる前の坂本木材株式会社の住所は札幌市中央区南12条西6丁目414でした。

車のナビで住所を入力して現地に向かうと一方通行路の道沿いにその建物がありました。
そこはエリエールスクエアー札幌の「渡辺淳一文学館」と書かれています。
20160727_115944                                   (渡辺淳一文学館)

20160727_115958                                   (渡辺淳一文学館)

エリエールはティシューペーパーやトイレットペーパで有名な大王製紙株式会社です。

坂本竹次郎は王子製の専属請負人であったが、現在の持ち主は同じ紙製品の会社であり、不思議な縁を感じさせるものでした。

館内に入り館長さんに来意を説明すると「この建物が建ってから18年になりますが、以前は坂本さんが持っていたと聞いています」とのことでした。
現在アスファルトで整地されている横の空地も以前は坂本さんのものでしたが今は分からないとのことでした。
20160727_120003                                    (隣の空き地)

20160727_120150                                 (文学館前の道路)

20160727_120038                                     (文学館前の道路)

入館料を払い、館内を見学する事にしました。
北海道生まれな気宇な文学者の一面に触れることができました。

外は坂本木材の籍年の歴史を流れさせるかのように雨が降り続き、私の調査活動も竹次郎翁の活動の地を訪ねたことで一旦休止したいと考えています。

2016年9月18日 (日)

2016年北海道取材旅行(13)

平成28年7月 前田神社を再び訪れました

倶知安から国道5号線を北上し、小沢で左折すると国道276号線となります。この国道は別名が尻別国道といい、余市~岩内を結ぶ道路です。
分岐からさらに進むと2km位で新しく出来た岩内共和道路と旧道の尻別国道の分岐となります。
岩内共和道路は日本国有鉄道が小沢駅と岩内駅を結んでいた岩内線跡に作られた新しく出来た道路です。

私達が前回この地を訪れたのは2011年の7月でした。この時に廃線跡にダンプカーが新しい道路建設のため土砂を積み土埃をたてて走っていました。
今では新しい大きな道路が付き、大型車両が多く走行していました。

尻別国道沿いの共和町役場を過ぎ、国道を西に進むと左側に目指す前田神社の参道がありました。
国道を左折し、前田神社の参道沿いに前田神社と書かれた社号標があります。

20160725_104446                            長い参道
20160725_104656_2                           前田神社鳥居

鳥居をくぐると左に経武間の碑が、右側には手水舎があります。
20160725_104736                              経武館の碑
20160725_104901                              由緒書

20160725_105006                                本殿
20160725_105038                           前田神社額

20160725_105252                           鳥居から見る参道

手水石の上には前田神社建立の由来が書かれた由緒書がありますが、前回の物より新しく作り変えられた物に変わっていました。
前田地区の歴史に関しては「旧加賀藩士の作った前田村」の項目で記述しています。

正面には本殿があり、この風景は前回訪れた時と変わっていません。木々の緑もあの時のように暑い夏の日差しを受け風にそよいでいました。

本殿にお参りを済ませ、国道に出るとバス停の標識には「前田」の文字が書かれています。以前は「起業社前」と書かれていたように思ったのですが?
20160725_104138                           バス停の標識

この道路の周りも時間が止まったように風景が変わっていないように感じます。
この付近だけは歴史の時計がゆっくりと進んでいるようでした。
以前お会いした前田地区の方はどうしているのでしょうか、農作物の収穫で忙しい時期なので心残りはありましたが、連絡せずに前田地区を後にしました。

2016年9月16日 (金)

2016年北海道取材ノート(12)

平成28年7月24日 倶知安町公民館図書室にて取材

20160724_155934                        倶知安町文化福祉センター

倶知安町への開拓移住については「倶知安開拓」に詳しく掲載してありますが、主謀者の八反田角太郎氏についてもう少し知りたくて、倶知安の図書室を訪ねました。
7月24日は日曜日で図書室は休みではなかったのですが、職員は不在で建物の日直者だけがいました。
図書室の中には誰もいないので何か嫌な感じです。
倶知安町史 昭和36年8月30日発行
必要と思われる箇所のコピーをお願いすると、本日は休日で事務職員が休みなためコピーできないと断られました。
7月26日は消防の関係で図書室は休館ですと掲示されていました。

翌7月25日(月)に再度訪れたのですが月曜日は休館日と書かれていました。
月曜の代わりに火曜日が休みになると考えたのが甘かったと反省しかり。
帰ってから白山市の図書館で借用してもらおうと考えています。

2016年9月14日 (水)

2016北海道取材ノート(11)

平成28年7月24日 真狩公民館図書室にて取材

20160724_135536_2
                     真狩公民館図書室
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                        真狩高校後ろに羊蹄山がそびえている


真狩村史 昭和40年1月31日発行

明治28年 香川県人 入植
明治28年 宮城県人 入植
明治29年 高知県人 横山寅吉他32戸が入植
明治30年 徳島県人 小田国太郎他33戸が入植
明治37年 神戸団体が入植

石川県人の団体が入植したとの記述はなし。

2016年9月13日 (火)

2016年北海道取材ノート(10)

平成28年7月24日 喜茂別図書室にて取材

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20160724_124218喜茂別図書室の後ろには尻別岳が眺望出来ました。

喜茂別図書室を訪れたのですがあいにく休館日で図書室は閉っていましたので取材は断念しました。

  
     留寿都村公民館図書室にて取材
20160724_131055                         留寿都村公民館

留寿都村史 昭和44年10月17日発行
移住団体の中の記述には石川県からの移住者は見当たらなかった。

2016年9月12日 (月)

2016北海道取材ノート(9)

平成28年7月 奈井江町の白山神社を訪ね、笹木様と懇談出来ました。

昨年、奈井江町を訪ね、町職員の方を通じ笹木様とお会いできるよう連絡を取っていただきましたが、仕事の都合で会えませんでした。
今回は事前に連絡してあったので白山神社前で待ち合わせ、お会いすることが出来ました。
笹木様は「白山滅びたら源五郎滅ぶ、源五郎滅びたら白山滅ぶ」と言われた方で、白山開山には関係の深い方です。

ここで笹木源五郎についてふれておきます。
「奈良時代に泰澄が越知山大谷寺に登り修業をしていた時、夢のお告げで白山を目差すことにしたのですが、白峰までたどり着いたのですが登山道がありませんでした。
山に住んでいた源四郎、源五郎兄弟が笹を切り開き道をつけ、養老元年(717年)7月18日に登頂出来ました。
この時泰澄太師は妙理大菩薩を感得したとされています。

その時道を切り拓いた源五郎に泰澄は笹木(切り)という姓を与えてとされ、白山の主として代々笹木源五郎を名乗っていました。

白峰村の一之瀬、赤岩、三ツ谷地区は河内集落といい、都人の白山詣での宿泊所となっていましたが、明治29年の災害で大きな被害を受け、新天地の北海道へ多くの村人が開拓移住していきました。
その人々の多くが空知郡奈井江に住み、現在の白山区を作り、白山神社を建立しました。

笹木正男様は笹木源五郎の末裔に当る方です。
笹木様の案内で白山神社を案内して頂きました。

道路際にある電撃柵を外し、白山神社の参道に入ると白山神社と書かれた大きな石柱があります。
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              白山神社 石柱

参道を奥に進むと階段があり上に白山神社と書かれた鳥居が我々を迎えてくれます。
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鳥居をくぐると砂利敷きの参道があり、木立の奥に拝殿がありました。
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拝殿の奥には大きな注連縄が架けられています。

拝殿の奥の小高い丘の上には社が2棟建っています。
20160723_170053                          左側の社

20160723_170115                          右側の社

社に向かうには階段が付けられていますが、その前にも電撃柵があります。
電撃柵を外してもらい左側の階段を登って行くと、白山様が祭られた社があり、扉は施錠されています。
鍵で開けようと試みたのですが、錆びていたのか見られるのを拒むように開錠できませんでした。
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                    春日神の社

右側の社には下の写真のような天照大伸、八幡大神、春日大神の三体の神様が祭られているとのことです。(写真は白山開拓100年史より借用しました)

Photo

右側の社に向かいました。ここも扉が施錠されていましたが、無事開錠出来ました。扉を開けて見せていただくことができました。
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              白山様が祭られている社

社の中には、菊理媛神(白山大権現)と天軻遇突智命(不動明王)が祭られていました。(写真は白山開拓100年史より借用しました)
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白山信仰の興りは比叡山の末寺として越前の平泉寺があり、白山開山の祖の泰澄が開きました。
越前禅定道の起点としての平泉寺、宿泊場所として白峰の河内集落があり、平泉寺の僧兵が常駐していました。
江戸末期までは天領として幕府直轄の管理となっていましたが、明治時代になると石川県の所轄になりました。
明治7年の神仏分離令では白山山頂の仏像や石仏は破壊されましたが、源五郎が白山様2体を隠して下山させ、村で守っていたのですが、明治29年以降は源五郎が奈井江の地に持参し、地区民によって祀られるようになり、現在の白山神社となっています。



笹木様とそのお仲間の方とで白山市が出来る前の白峰村の時代に先祖の郷里を訪れ、白峰村村長と懇談したことがあったとのことでした。
白山市が誕生したのでお祝いに行くことを計画していたのですが、市長が急逝したので計画は中止になり、それ以降は白山市へは行っていないとのことでした。

笹木様に来年は白山開山1300年となりますが、こちらの方では何か計画でもありますか聞いたのですが、まだ具体的に計画していないようでした。

白山からの下山仏の白山様なので、白山市と共同歩調で開山1300年を祝うことが出来れば良いのにと思うのは私だけでしょうか。

2016年8月28日 (日)

2016北海道取材ノート(8)

平成28年7月 歌志内市図書館にて取材

20160721_175603               歌志内市立図書館    歌志内市字本町76

歌志内市は炭鉱で栄えた町でピーク時の人口は48000人を超えていたそうであるが、炭鉱閉山と共に町も衰退し、北海道の町制施行基準である人口5千人を割り込み、現在は3500人位である。

図書館を訪問し、歌志内市史を調べたのですが開拓のための入植に関しての記述が見当たらず、調査を断念しました。

石川県の加賀地方からの入植者がいるとの情報があったのですが、加賀地域の郷土史を再度調べてから出直したいと思っています。

  

  

2016年8月26日 (金)

2016北海道取材ノート(7)

平成28年7月 赤平市図書館にて取材

20160721_171104                赤平市図書館        赤平市大町4丁目5-2.




閉館が午後5時で閉館間際の取材となった。
赤平市史 上巻に赤平各地域への入植の記述があります。
その項で石川県からの入植に付いての記述されています。
市史の中で、「江沼郡誌」、「能美郡誌」より摘録された項目があったので、調べてみたいと思っています。

赤平地区は旧赤平炭鉱で最盛期の人口は5万人を超えていたようです。
当時は多くのの労働者で街も発展していたようですが、炭鉱閉山により人口の流出が激しく、現在は1万人弱の街となっています。
現在はかっての炭鉱遺産の活用した観光を力を入れているようでしたが、今回はその施設は見る機会がありませんでしたが、次回に訪れたいと思っています。

赤平市への開拓移住ついては別項にて記述していきます。

2016年8月20日 (土)

2016北海道取材ノート(6)

平成28年7月 沼田町図書室にて取材

20160721_143839

                                   (沼田町生涯学習センター)

北竜町の入植(北竜町HP 歴史年表より)
明治26年千葉団体第一次26戸入植
明治30年加賀団体開墾委託会社と契約を結び、奥美葉牛に入植。

雨竜町の入植(石狩川流域誌)

沼田喜三郎と開墾会社
小樽で精米会社を営み成功を収めた沼田喜三郎は、明治26年沼田の未開地の賃下げを受け、「開墾委託会社(通称、雨竜本願寺農場)を設立した。
自ら社長に就き、明治27年に故郷の富山県砺波から18戸を移住させた。
翌28年から富山県と石川県の本願寺の信徒から募集し、本格的な開墾を進めた。

この村は上北竜町と称していたが、北竜町と間違いやすいため、大正11年開祖にあやかって「沼田村」に改名された。(沼田町開拓の歴史)

沼田町史の必要箇所をコピーして頂いたので、別稿で紹介していきます。

 

2016年8月17日 (水)

2016年北海道取材ノート(5)

平成28年7月   雨竜町図書室にて取材

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                 (雨竜町農村環境改善センター)


雨竜町史   昭和44年9月12日発行
雨竜百年史 平成2年11月30日発行

雨竜百年史の中で「明治33年以前に入植した者の現在本町居住者」の一覧表があり、この表によると秋田、長野、新潟、富山、和歌山、徳島、兵庫、愛知、奈良、福島、山形、香川と全国から入植している。

百年史の中で、「雨竜への移住者で富山県出身者が最も多く、その次に新潟県がしめていた。しかし、石川県の場合は富山、新潟と移住戸数が多い割には移住者が多くない。
その原因を考えると、雨竜への移住が開始される当初、富山、新潟にみられるような雨竜村との関係が石川県にはなかったからである」と書かれいる。

この表には石川県から明治31年に野村貞祥が入植し、現在も子孫の方が居住されていますが、出身地が書かれていないので分からりません。
石川県の鳥越村から十数戸が雨竜(北竜町を含む)に入植しているのですが、調査不足で入植した片鱗さえ見つけられませんでした。

より以前の記事一覧